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秋田城(あきたじょう)

古代沼と門 古代沼と門

歴史

秋田城のはじまりは733年、朝廷が秋田以北への進出のために築いた出羽柵(でわのき)です。
760年頃、出羽柵は秋田城へと改称され、秋田城は出羽国の国府となり、政治の中心地となったのです。
ですが804年、蝦夷の反乱が出羽一帯に広まると、秋田城は形式上廃止となりますが、実際のところは、出羽国の政治の中心地として存続していたのです。
また830年、出羽国一帯を大地震が襲い、秋田城が倒壊したことが記録に残っています。
878年の元慶の乱の際、俘囚(ふしゅう・朝廷に従属した蝦夷)により秋田城が占拠されてしまい、これを受けた朝廷は小野春風(おののはるかぜ)を鎮守将軍として派遣し、最終的に朝廷と俘囚は和睦し、秋田城は朝廷の手に戻ったのです。
ですが939年の天慶の乱の際も、秋田城は俘囚の攻撃を受けています。
1051年から始まった前九年の役の終結後、秋田城の国司は遙任制(ようにんせい)となり、国司が城に常駐しなくなったため、秋田城の重要性は薄れていき、やがて廃されたと考えられています。

秋田城訪問記

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お城データ

所在地 秋田県秋田市寺内鵜ノ木
築城者 朝廷
別名 出羽柵
城郭形態 古代城柵
備考 外郭部分は壮大に復元されており、少し離れたところには正殿跡がある。
アクセス JR奥羽本線他「秋田駅」よりバス(寺内経由土崎線、18分)
→護国神社入り口下車で徒歩5分
駐車場 あり
満足度 ★★★★★
写真販売 古代沼と外郭東門(フォトライブラリー)
地図 Mapion
訪問日 2009年8月23日

参考資料

参考資料一覧
現地案内板・日本のお城世界のお城(都村様個人サイト)

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