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足利学校 (あしかががっこう) |
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写真は足利学校入り口(学校門)です。 城郭関連の本 城郭関連商品 |
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足利学校訪問記 | |
足利学校が創建された年代については諸説あり、論争の的となっています。 ですが、室町時代には衰退していたため、上杉憲実が再興に尽力し、足利学校は全国から勉学を志す者が集まってくる場所となったのです。 1530年には火災にあいましたが、庠主(今である校長のこと)が後北条氏の庇護を受けたことから再興が叶い、フランシスコ・ザビエルは「坂東の大学」と称し、その名は世界に伝わりました。 1590年の豊臣秀吉による小田原攻めにより後北条氏が滅びると、足利学校は財源を失ってしまいます。 その上、豊臣秀次が蔵書を京都に持ち出すなどしましたが、庠主は徳川家康から庇護を受け、足利学校は再び隆盛。 しかし江戸時代になると、その学問は時代遅れとなってしまい、足利学校は衰退。 明治時代になると、足利学校は足利藩の藩校となりましたが、廃藩置県後の1872年に廃校となりました。 |