長谷堂城(はせどうじょう)
歴史
長谷堂城の築城時期は定かではありませんが、伊達文書に「1514年に最上氏と戦って長谷堂を陥落させた」との記載があるため、少なくともこの頃には築城されていたと考えられます。
1600年の慶長出羽合戦の際、上杉景勝の重臣・直江兼続は、2万の大軍を率いて長谷堂城を攻めました。
それに対し最上義光の家臣・志村光安はわずか1000程の兵力で籠城戦を繰り広げ、上杉勢に損害を与えました。
結局、兼続は長谷堂城を落とせず、関ヶ原本戦の西軍敗北の報を受けて撤退したのです。
戦後、志村氏は酒田東禅寺城に加増転封となり、代わって坂光秀が長谷堂城主となりました。
ですが、1622年の最上騒動により最上氏が改易となると、長谷堂城は破却され廃城となったのです。
長谷堂城訪問記
城山の麓にある堀。 この脇に駐車場もあります。 |
駐車場にある案内板。 こちらは慶長出羽合戦について記載されています。 |
こちらは城址についての案内板。 遺構についても記載されており、とても助かりました。 |
山道を登っていくと、帯曲輪跡が姿を現しました。 しかし写真ではよくわからない…… |
そして土塁も姿を現しました。 高さが低いため、これもイマイチ分かりにくい…… |
長谷堂城には数多くの曲輪跡が残っています。 |
この曲輪には、2009年大河ドラマ放映の際にはたくさんの幟が立っていました。 当然、今はありません…… |
そして辿りついた主郭跡。 城址碑や案内板があります。 |
主郭にある案内板。 長谷堂城は案内板が充実しています。 |
またもや現れた慶長出羽合戦についての案内板。 |
こちらは主郭にある虎口。 ……ずいぶんこじんまりした虎口です。 |
主郭下の曲輪跡。 城跡は青空とのコントラストが抜群です。 |
こちらは少々古めかしい案内板。 郷土研究会によるものみたいです。 |
長谷堂城最大の遺構とも言える、二重横堀の一本目。 ……しかし、藪にしか見えません。 |
お城データ
所在地 | 山形県山形市長谷堂 |
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築城者 | 最上氏 |
別名 | 亀ヶ城 |
城郭形態 | 山城 |
備考 | 城山全体が城址公園となっており、曲輪跡や土塁が見られる。 |
アクセス | 東北中央道「山形中央IC」より車で20分 |
駐車場 | あり |
満足度 | ★★★☆☆ |
写真販売 | 曲輪跡(フォトライブラリー) |
地図 | |
訪問日 | 2014年11月22日 |
参考資料
参考資料一覧 |
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ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地案内板・お城の旅日記(中西様個人サイト) |