東根城(ひがしねじょう)
歴史
東根城は1347年、小田島長義によって築かれ、当初は小田島城と呼ばれていました。
1395年に天童頼直の四男・東根頼高が城主となり、名称も東根城と改称されたのです。
天童氏は最上氏に仕えていましたが、戦国時代になると両氏は争い始め、末期には激化します。
それを受けた最上義光は、1584年に東根氏の重臣である里見景佐に寝返り工作をかけ、
景佐がそれを受け寝返ったことから東根城は落城。
景佐は東根氏を継ぎ、『東根景佐』と名乗り最上氏に仕え、東根城も景佐の城となりました。
景佐は城下町の整備や神社仏閣の勧誘を積極的に行い、多くの実績を残しましたが、
1620年にその生涯を閉じました。
1622年、最上氏が改易されると、東根城には松平氏が入りますが、
松平氏は新たに東根陣屋を築いたため、東根城は廃城となりました。
東根城訪問記
東根小学校の模擬石垣。 城址の雰囲気が良く出ています^^ |
東根小学校にある、『東根の大ケヤキ』 樹齢1000年……本当に巨大ですよ! |
かつての堀跡だと言われる中沼。 こちらは未整備と言う感じですが…… |
同じく堀跡だと言われる龍興寺沼は、 公園としてきれいに整備されていました。 |
畑にある土塁のような地形。 おそらく遺構ではないと思われますが… |
東根小学校から東に歩くとある、 里見景佐の御霊屋。 |
御霊屋の案内板。 東根の発展に大変貢献した人物だけあり、 愛されているようです。 |
浄国寺にある移築現存門。 東根城唯一の建築遺構です。 |
お城データ
所在地 | 山形県東根市本丸北1丁目 |
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築城者 | 小田島長義 |
別名 | 小田島城 |
城郭形態 | 平城 |
備考 | 東根小学校に模擬石垣がある。 遺構としてはかつての水堀や、里見景佐墓所などがある。 |
アクセス | JR奥羽本線「東根駅」より徒歩25分 |
駐車場 | あり |
満足度 | ★★★☆☆ |
写真販売 | 水堀(PIXTA) |
地図 | |
訪問日 | 2009年8月24日・2014年11月23日 |
参考資料
参考資料一覧 |
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現地案内板・お城の旅日記(中西様個人サイト) |