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本多 忠勝
(ほんだ ただかつ)
どんな人?

徳川四天王の一人に数えられた猛将。
徳川家康の家臣として数々の戦に出陣し、
織田信長には「花実兼備の勇士である」と、
豊臣秀吉には「東国に本多平八あり、
鎮西に立花宗茂あり」と賛美されたが、
その晩年は不遇であったとされる。

本多忠勝関連の本 オススメ度
本多忠勝 ★★★★★
徳川四天王(上) ★★★★☆
徳川四天王(下) ★★★★☆
名刀伝 ★★★☆☆
戦国武将あの人の顛末 ★★☆☆☆
本多忠勝関連グッズ
生年 1548年
没年 1610年
居城 大多喜城・岡崎城・桑名城
父親 本多忠高
母親 植村氏義の娘
兄弟 妹が一人いる
於久の方
子供 本多忠政・本多忠朝・小松姫・もり姫・
本多信之室・松下重綱室など
銅像 桑名城(フォトライブラリー)
忠勝の歴史 コラム
1 比類なき働きで名を馳せる 1 「武」の逸話
2 家康の関東入封後の忠勝 2 「智」の逸話
3 忠勝を評価した天下人達
4 豪槍、蜻蛉切
参考文献
戦国人名事典・コンパクト版(新人物往来社)
信長の野望天下創世武将file(KOEI)・信長の野望・覇王伝武将ファイル(KOEI)
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