徳川四天王の一人に数えられた猛将。 徳川家康の家臣として数々の戦に出陣し、 織田信長には「花実兼備の勇士である」と、 豊臣秀吉には「東国に本多平八あり、 鎮西に立花宗茂あり」と賛美されたが、 その晩年は不遇であったとされる。