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岩村城 (いわむらじょう) |
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写真は雪に覆われた天守台です 城郭関連の本 城郭関連商品 |
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岩村城訪問記壱 岩村城訪問記弐 | |||||||||||||||||||||||
岩村城は1185年、遠山(加藤)景廉がこの地の地頭となった時に築城されました。 正確には、遠山(加藤)景廉はこの地を踏むことはなく(鎌倉で働いていた)、その子景朝の時代になって初めてこの地に赴任し、以後戦国時代に至るまで、岩村の地は遠山氏により治められたのです。 1570年、岩村城は武田信玄により攻められますが、時の城主・遠山景任は、織田信長の援護を受け守り抜きました。 しかし1571年に景任は病没し、景任には実子がいなかったため、当時6歳だった信長の五男・御坊丸を養子として迎え、政務は景任の正室・おつやの方が執りました。 1572年、岩村城は再び武田信玄により攻められ開城。 以後岩村城は武田氏の持城となりますが、1575年の長篠の戦い後武田氏が弱体化すると、織田信長は岩村城の攻略を、嫡子である織田信忠に命じます。 5ヶ月間の戦いの後岩村城は開城し、川尻秀隆が岩村城に入り、岩村城を大改修しました。 秀隆が甲斐に移封となった後は、森氏が城主となり、森忠政の代に岩村城は近世城郭へと改修され、城下町なども整備されました。 1600年の関ヶ原の戦い後、森氏は信濃松代へと移封。岩村城には松平氏・丹羽氏などが入りますが、1702年に松平乗紀が入城した後は、松平氏が七代続き明治維新を迎えました。 |
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参考文献・参考サイト ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地解説板・余湖くんのお城のページ(余湖氏個人サイト) |