上山城(かみのやまじょう)
歴史
上山城の始まりは1400年頃、羽州探題を務めた里見満長(天童氏の庶流)が築城した、高楯城(亀ヶ岡城)に始まると言われています。
ですが1514年、高楯城は伊達稙宗に攻略され、城主である上山義房は戦死し滅亡。
高楯城には伊達氏の家臣・小簗川貞範が入りますが、1535年に義房の子・武衛義忠が挙兵し奪還。
義忠は高楯城を廃し、新たに上山城(月岡城とも)を築城したのです。
以後城主は義忠の子・武衛義節、そして孫である武衛義政と続きますが、この頃から天童氏一門のほとんどが、主家である最上義光と次第に対立を深めていったため、義政も当然のごとく、義光に従うことを拒否したのです。
それを受けた義光は、義政の重臣である里見民部を寝返らせ上山城を攻め落とし、義政は討死。
上山城は里見民部に与えられ、正式に最上氏の城となったのです。
1622年に最上氏が改易されると、上山城主は松平氏・蒲生氏・土岐氏と変遷し、土岐氏の時代に、上山城は最も拡張され雄大な城郭となったのです。
ところが1692年、土岐氏が転封となった直後、上山城は幕命により破却されてしまいます。
破却はされたものの、上山藩が存続したことから、上山城には金森氏・松平氏が続けて入り、上山城はその都度修復されますが、あくまで部分的な修復であり、全体の修復は叶いませんでした。
明治時代を迎え廃城令が出されると、上山城は正式に廃城となったのです。
上山城訪問記
坂を上がっていくと現れる案内板。 模擬天守の入り口付近にあります。 |
二の丸から、本丸の土塁を見る。 |
右上写真の土塁の前には、どう見ても堀にしか見えない地形があります。 | 本丸跡は、現在月岡神社になっています。 |
本丸跡にある鐘楼。 当時のものなのでしょうか? |
本丸跡にある【月岡城址」の石碑。 背面には「月岡神社」と書かれています。 |
本丸跡にある案内板。 一番上写真の案内板とは、微妙に内容が異なっています。 |
二の丸に堂々と聳え立つ模擬天守。 何だかんだ言っても、絵になります。 |
こちらは上山城西内堀。 貴重な遺構ですが臭いがちょっと…… |
上山城西内堀の案内板。 土塁とあわせて、とても貴重な遺構です。 |
二の丸にある謎の石垣。 これはいったい……現存なのか? |
お城データ
所在地 | 山形県上山市元城内 |
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築城者 | 武衛義忠 |
別名 | 月岡城 |
城郭形態 | 平山城 |
備考 | 二の丸に模擬天守が建っている。 |
アクセス | JR奥羽本線「かみのやま温泉駅」より徒歩15分 |
駐車場 | あり |
満足度 | ★★★☆☆ |
写真販売 | 模擬天守(PIXTA) |
地図 | |
訪問日 | 2009年8月24日・2014年11月23日 |
参考資料
参考資料一覧 |
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ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地案内板・城郭写真記録(成田三河守様個人サイト) |