加藤清正は、尾張の土豪であった加藤清忠の子として生まれました。
清正の母・伊都が、秀吉の母・大政所の姉妹だとの説がありますが、少々信用が置けない話です (秀吉子飼いの武将であることを強調するために、後世に作られた話であると考えられるからです) それはそうと、清正が秀吉に仕えたのは確かで、1581年の鳥取城攻めで初陣を果たしました。 (1575年の長篠の戦いが初陣とも言われていますが、年齢等を考えると鳥取城攻めが妥当でしょう)
1583年の賤ヶ岳の戦いでは、敵将・山路正国を討ち取り、賤ヶ岳七本槍の一人に数えられました。 1586年の九州征伐で功を挙げ、1587年に肥後半国二十五万石を与えられ、熊本城主となりました。
このように、清正は秀吉の下で出世して行ったのです。