加藤清正TOPへ
豊臣家に忠義を尽くした清正

さて清正は秀吉の死後、徳川家康に接近しますが、どうやら豊臣家への忠義を忘れていたわけではなさそうです。
1611年、豊臣秀頼と徳川家康が二条城で対面した時、清正は浅野幸長と共に懐中に短剣を忍ばせたという逸話があるのです。
これは秀頼を家康が放った暗殺者から守るためだとされており、
もし非常の事態になったなら、清正は命を捨てて秀頼を守る覚悟であったと言われているのです。

「コラム4 三成に対する逆恨みと、大局を見る目」へ
inserted by FC2 system