黒田二十四騎とは? 武久TOPへ
 黒田二十四騎とは、黒田孝高が、賤ヶ岳七本槍にちなみ、自分の家臣から二十四人を選出してこう呼んだのが始まりです。
 最初は黒田長政も入れて二十五人でしたが、長政の代になり二十四人となりました。
 その面々は以下の通りです。

井上之房 戦功はないが、人望が厚かったという。
栗山利安 有岡城に幽閉された孝高を救出。武功は数知れず。
黒田一成 孝高の養子。長政の影武者となる。
黒田利高 黒田職隆の二男で、黒田長政の後見役。
黒田利則 黒田職隆の三男で、一時羽柴秀長に仕えた。
黒田直之 黒田職隆の四男で、ミゲルという洗礼名を持つキリシタン。
後藤基次 後藤基次を参照
母里友信 ご存知黒田節の主人公。
衣笠景延 智謀に秀でており、後に中老となる。
小河伸章 日向の戦いで活躍。
桐山信行 具体的な戦功は不明。
久野重勝 高祖城の戦いの際、大手門まで一番駆けをした。
毛屋武久 省略
菅忠利 関ヶ原の戦いで小早川秀秋を裏切らせ、島清興を倒す。
竹森次真 秀吉から陣羽織を賜る。後に旗奉行。
野口一成 百人組(勇猛な兵士を集めた部隊)の指揮官。
野村祐勝 母里友信の弟で、城井鎮房暗殺の功労者。
林直利 岸和田の戦いで功を挙げる。
原種良 筑前の豪族で、九州征伐の際豊臣軍を誘導。
掘正勝 文禄の役の際に頭角を現す。以後戦で敗れたことはないという。
益田宗清 足軽の扱いが巧いが、文字の読み書きができず。
三宅家儔 船手頭。九州征伐で功を挙げる。
村田吉次 初陣の際、敵の武具や馬を奪い戦いにのぞんだと言う。
吉田長利 数々の首を取る。物見でも功を挙げる。

 ちなみに上から八人(母里友信)までは「黒田八虎」と言われ、黒田二十四騎の中でも特に優秀な人物らであると言われています。
 残念ながら、武久は八虎の中には入っていませんが…
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