武士の館TOPへ
騎馬隊の存在の是非

さて、歴史小説やテレビドラマなどでは、「大多数の騎馬隊が敵に突撃し、華麗に敵を蹴散らす」
といった場面が出てきます。

しかし、最近の歴史検証番組ではよく「こんな場面はありえない」と言われており、これは確かにその通りです。
というのも、これはひとえに「兵力に対する騎馬武者の割合が少ない」ということに起因します。
(例えば、武田家の馬場信房に割り当てられた騎馬は百五十騎、ちなみに少ない者になると十五騎から十騎)
ですが小規模な戦闘となると、騎馬武者たちが固まって密集突撃が行われるということはありました。

しかし、最近はテレビなどの説を拡大解釈し「戦場で騎馬隊は一切使われていなかった」との説が流布しています。
本サイトのメールや掲示板においても、時々そのような意見が述べられるのですが、
残念ながらそれは、間違っている可能性が非常に高い考えです。
「騎馬隊は一切使われていなかった」との考えが主張されている根拠は、大まかながら次の通りです。

NHKの実験番組によると「この時代の馬と同じくらいの大きさであるポニーに、鎧武者(おおよそ100kg)を
乗せて走らせたところ、全速力で走れたのはわずか1500mほどで、10分ほどでバテてしまった」という。

戦国時代には日本の馬は宣教師達に「ポニー」と呼ばれていた記録がある。
今現在のポニーを見ても分かるのだが、ポニーはのんびりとした馬であり体高も小さい(120cmくらい)。
一方、今日競走馬として使われているサラブレッドは160cmである。
明らかに小さく速度の出ないこの馬に乗って戦場を疾駆するなどとは考えられない。

一見すると筋が通っているように見えますが、実はいくらでも反論の余地があるのです。

NHKの番組での実験だが、これは果たして走る訓練をしていた馬なのだろうか?
現在の競馬などにおいても、牧場などでのんびり飼っていた馬をいきなり走らせることなく、
競馬に出場するために訓練をするのは当然である。
走る訓練をしていない馬を疾駆させるなど、言い方は悪いがメタボな人に陸上競技をやらせるに等しい。

1500mほどしか全速力で走れなかったというが、戦場ではそのくらい全速力で走れれば十分である。
というのも、当時の火縄銃の射程は100mほど、弓矢でも300mほどである。
その射程外から一気に突撃すればいいだけなので、1500mも走れれば十分すぎるほどである。

当時の部隊に「母衣衆(伝令要員)」というものがある。
彼らの背中についている母衣は、馬に乗って走っていなければ形にならない。
(止まっていると垂れ下がってしまう。もちろん、人間の走る速度でも垂れ下がってしまう)
つまり母衣は、馬にまたがって疾走することを想定して作られているのである。

宣教師達にポニーと呼ばれていたのは事実だが、「昔のポニー」と「現在のポニー」の意味は違う。
現在のポニーは「のんびりとした小型馬」といった意味で使われるのだが、
昔のポニーとは「俊敏な馬」という意味で使われていたのである。
時代は少しずれるが、アメリカでポニーエクスプレス(早馬を利用した郵便制度)などができていることからも、
そのようなイメージがもたれていたことは明らかである。

体高が120cmくらいということはありえない。
当時の日本馬のサイズは、発掘された馬の骨から考えると、平均して130cm〜135cmほどである。
これでも小さすぎると言うかもしれないが、「モンゴルの騎馬部隊(この存在は否定されないでしょう)」が
使用した蒙古馬の平均体高は135cmほどであり、当時の日本馬と大差ない。
更に日本の在来種である木曾馬は、モンゴルの馬と比べて筋骨隆々としており、力もある。
上記から、モンゴルの騎馬部隊の存在を肯定しておいて、日本の騎馬部隊の存在を否定する材料がない。

当時の史料(軍記物や講談物などのフィクションではない)にも「乗り入れ」「乗り崩し」など、
馬の機動力を使用した戦法が登場している。これはどういうことなのか?

このように、「騎馬隊が全く存在していなかった」という説は、否定する材料が数多くあるため、
残念ながら現段階においては根拠薄弱なものと言わざるを得ません。
ではそれならば、戦国時代において、騎馬隊はどのように使われていたのでしょうか?

戦国時代初期においては、騎馬は主に母衣衆として、そして少数で密集して敵陣に突撃するという方法で
使われていました(無論、テレビドラマのように大規模に突撃するといったことは、数が少ないためありません)。
「少数で突撃することに効果はあるのか?」と思われるかもしれませんが、
当時はまだまだ騎馬に対する対策も十分ではなかったので、
乱暴な例えですが、人ごみの中に車を突っ込ませるようなものです。効果は十分にあったでしょう。

ですが徐々に時代がたつにつれ、足軽が増大し騎馬対策戦法(長槍を用いたもの)が普及したことで、
騎馬隊の有利は徐々に薄れていきます。
そのため徐々に、騎馬武者も移動の時にこそ馬を使うものの、いざ戦闘となれば馬を降り、
歩兵と共に戦うようになっていきました。
無論、母衣衆は騎馬を利用していましたし、機会があれば少数での突撃を行っていたこともあったでしょう。

これらのことから、「戦国時代に大規模な騎馬隊は存在しなかったということは正しいが、
まったく騎馬が使われていなかったということはあり得ない」と考えられるのです。

武士の館TOPへ
inserted by FC2 system