武田家時代の義昌と、織田家への寝返り 義昌TOPへ
 木曽義昌が生まれた木曾家は、木曾谷で代々領主を務めていました。
義昌は父義康と共に木曾谷を支配し、信濃に進出しようとしていた武田信玄と争いますが、1555年に信玄に降伏します。
 義昌が領する木曾谷は、美濃と信濃の国境という重要地点だったため、信玄は義昌に三女である真理姫を嫁がせ、以後義昌は親族衆として信玄に仕えることとなりました。その後義昌は、信玄の配下として活躍したと言います。
 しかし信玄が没し、武田家の当主が勝頼となってから十年の後、織田信長による甲斐侵攻が始まりました。
 勝頼の新付城築城により賦役が増大していたこともあり、義昌は信長と通じ織田家に寝返り、義昌は甲斐侵攻の先鋒を務めることになったのです。
 無論勝頼は義昌を攻めますが、義昌は織田家の援軍と共に武田軍を鳥居峠で撃破。
 義昌は武田家滅亡後、木曾谷をはじめ筑摩などの領地を安堵され、深志城城主となったのです。
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