信長亡き後の義昌 義昌TOPへ
 さてそんな義昌でしたが、信長が1582年の本能寺の変で倒れると、もともと信濃の守護であった小笠原氏により攻められ、結局領地は、再びかつてと同じ木曾谷のみになってしまったのです。
 そして間もなく、徳川家康が信濃に侵攻してくると、義昌は徳川家康に臣従。ですが1584年の小牧長久手の戦いの際、義昌は羽柴秀吉に臣従。しかし小牧長久手の戦いが終わると、再び徳川家康に臣従するなど、徳川氏と羽柴氏の間で鞍替えを繰り返しました。
 1590年、家康が関東に移封となると、義昌は木曾谷を失い、代わりに下総国阿知戸の地を与えられました。
 そして1595年、義昌は阿知戸の知で亡くなったのです。
inserted by FC2 system