猛将であった秀秋 秀秋TOPへ
 さて秀秋といえば、関ヶ原での煮え切らない態度からか、漫画やゲームなどでも「なよなよした小心者」として描かれることが多い人物です。
 しかし実際のところ、秀秋は(若いということもあったでしょうが)猛将と呼ぶべき勇猛な武将でありました。
 前述の通り、1596年の慶長の役では総大将として出陣。蔚山城の戦いにおいては自ら槍を持って奮戦し、敵将を生け捕りにするなど武勇を馳せます。
 更に関ヶ原の際の伏見城攻めでは、秀秋は島津義弘らと共に伏見城に総攻撃をかけ、伏見城を守る鳥居元忠を打ち破り、落城させています(この時の項を石田三成が認めなかったため、東軍に寝返ったともいう仮説が生まれるほどの武功を立てています。)
 これらのことからも、秀秋は決して世間一般で描かれるような「小心者」などではなかったことが分かります。
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