秀秋の政治 秀秋TOPへ
 秀秋といえば、その行動からどうしても「暗愚」というイメージを持ってしまいますが、彼は関ヶ原の戦い後入った岡山城で、十代後半〜二十代前半でありながら、政治的な実績を数多く残しています。
 例えば領内の総検地を実施したこと、寺社の復興を行ったこと、農地の域割り・整備を行ったことなどが挙げられます。
 もっとも有名なのは、「二十日堀」という、従来の岡山城の外堀の外側に、新たに倍の幅を持つ堀を作ったことでしょう(二十日堀という名前は、その堀が二十日で完成したことに由来する)。
 このように、秀秋は若いながら、高い政治能力を発揮していたのです。
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