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秀吉に恐れられた孝高
 孝高は非常に素晴らしい才能の持ち主でありました。ですが、そのために秀吉から警戒され、また、秀吉に恐れられていたといいます。
 それを示す逸話を、「突然の、隠退劇」で紹介したものも交えて、改めて紹介していきます。


 ある日、山名豊国が孝高の元にやってきて、次のような話をしました。
「関白殿下(秀吉)が、先日『自分が死んだ後は、誰が天下を取るであろうか』と諸将に言われました。
みな最初は黙っていましたが、秀吉に促されるので『徳川殿』とか『上杉家』、『毛利家』などの回答を口にしました。それに対し殿下は『お前達は大事な者を一人忘れている』というので、諸将が『思い当たりません』と答えると、『あの官衛兵(孝高)なら天下が取れる。今まで自分が苦難に陥ったとき、孝高に相談したら必ず埒があいた。自分が苦心して考え出した考えよりも、優れたことを述べる。また度胸もあり、人使いも上手い。自分が存命中でも、天下を取ろうとすれば取れるに違いない』と仰ったのです」
 これをきいた孝高は「関白殿下は自分を警戒している」と驚愕しましたが、「自分の器量を、それほど高く評価してくださっているとは、名誉なことでございます」と、受け流したと言われます。(古郷物語)

 秀吉が孝高と談話をした際、秀吉に「次の天下人を挙げてみよ」といわれた孝高が、さりげなく「毛利輝元」と答えると、秀吉は「いや、目の前の男じゃ」と孝高を指差したので、孝高は針の蓆に座る心地がしました。(常山紀談)

 秀吉はある時、側近に向かって次のような話をしました。
「世に恐ろしいものは徳川と黒田である。徳川は温和な人物であるのだが、黒田はなんとも心を許しがたい人物である」

 秀吉は小田原攻めの際、陣営を巡察し「昔、源頼朝はその軍勢を二十万と称した。その後に、頼朝のような大軍を操作したと言う話は聞かないが、いまや自分の軍は、はるかに頼朝の軍を上回っている。このような大軍を操作できる者は、自分をおいて他にはいないだろう」と言いました。
 しかし、しばらくして「いや一人いるな。孝高ならできるだろう」と言ったといいます。(名将言行録)

 これらの逸話が創作だとしても、火のないところに煙は立たず。まったく根拠のないものではないでしょう。
 やはり孝高と秀吉との間には、このような事実が多少なりともあったと考えられるのではないでしょうか。
 そしてまた秀吉が、このように孝高の能力を高く買っていたこともまた、事実だったとも考えられます。
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