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久留里城
(くるりじょう)
復原天守
写真は復原天守です。
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所在地 千葉県君津市久留里
築城者 武田信高
別名 雨城
城郭形態 山城
備考 本丸に復原天守、二の丸に城址資料館(無料)がある。
アクセス JR久留里線「久留里駅」より徒歩30分
駐車場 あり
満足度 ★★★☆☆(5段階中3段階)
地図 Mapion
久留里城訪問記
久留里城は室町時代、武田信高により築城されました。(武田信長という説もある)
この頃の久留里城は、もう少し北側にあったのですが、1535年に里見義堯がこの地に久留里城を築き本拠とし、長子である義弘を佐貫城に配しました。
1554年から1555年にかけて、久留里城は北条綱成に攻められますが、里見義堯・義弘親子はこれを撃退し、武名を高めました。
しかし1564年、第二次国府台合戦で里見軍が大敗すると、一時久留里城も陥落し、後北条氏の城となりました。
ですが、間もなく里見氏は久留里城を奪還。
その後幾度となく、久留里城は後北条氏の攻撃を受けますが、久留里城が陥落することはありませんでした。
1590年の豊臣秀吉の小田原攻め後、久留里城には大須賀忠政が入り、久留里城は近世城郭に改修されました。
1601年に忠政は横須賀に転封となり、代わりに土屋氏が入りますが、1679年に土屋氏が改易となると、久留里城は一時廃城となります。
1742年に黒田直純がこの地に入ると、久留里城は四年の歳月をかけて再建され、以後久留里城には黒田家が九代続き、明治維新を迎えました。
参考文献・参考サイト
ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地解説板・埋もれた古城(ウモ氏個人サイト)
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