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万木城
(まんぎじょう)
展望台
写真は天守風展望台です。
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所在地 千葉県いすみ市万木
築城者 土岐氏
別名 万喜城
城郭形態 平山城
備考 非常に目を引く天守風展望台がシンボル。
アクセス いすみ鉄道「国吉駅」より徒歩45分
駐車場 あり
満足度 ★★☆☆☆(5段階中2段階)
写真販売 展望台(フォトライブラリー)
地図 Mapion
万木城訪問記
万木城の築城時期については諸説あり、1400年頃土岐頼元により築城されたとも、1412年頃土岐時政により築城されたとも言われていますが、定かではありません。
いずれにせよ、万木城の城主は土岐氏であり、戦国時代には後北条氏に属したことから里見氏に何度も攻められていますが、その都度里見氏を撃退しています。
1589年、豊臣秀吉が小田原城の後北条氏を攻める意図を明確にすると、それを察知した北条氏政・氏直父子から万木城主・土岐頼春宛に陣触れが届き、300騎を小田原城に送ります。
すると、手薄になった万木城を手中に収めようと、庁南城の武田豊信が攻めてきました。
頼春は豊信を籠城戦で撃破しますが、すぐに岡本城の里見義頼も来襲。
義頼は保良峠に伏兵を置き、頼春を撃破しようとしますが、頼春はそれを看破し、密かに保良峠に進軍し、油断していた義頼軍を撃破。
それを聞いた小多喜城の里見時堯(里見義頼の弟)は万木城を包囲しますが、時堯は万木城を落とせなかったため、いったん陣払いをした上で、夜間に奇襲をかけようとします。
しかし頼春はまたもやそれを察知し、夜間行軍する里見軍を鉄砲で急襲し撃破しました。
このように幾度もの攻撃に耐え抜いた万木城ですが、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めにより落城し、土岐氏は途絶え城も廃城となりました。
なお、頼春は自刃したとも、あるいは三河に落ち延びたとも言われています。 
参考文献・参考サイト
ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地解説板・埋もれた古城(ウモ様個人サイト)
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