丸岡城(まるおかじょう)
歴史
丸岡城は1576年、柴田勝家の養子・柴田勝豊によって築城されました。
1582年に織田信長が亡くなると、清州会議により長浜が柴田領となったため、勝豊は長浜城へと移り、丸岡城には勝豊の家臣・安井家清が入りました。
1583年の賤ヶ岳合戦で柴田勝家が羽柴秀吉に敗れると、越前国が丹羽長秀領となったため、家臣・青山宗勝が城主となりました。
1600年の関ヶ原合戦で青山氏は西軍に属し改易となったため、代わって越前国を得た結城秀康の家臣・今村盛次が城主となりました。
その後の城主は本多氏・有馬氏と代わり、有馬氏6代の後に明治維新を迎えたのです。
丸岡城訪問記
麓から坂を登っていくと、現存天守が迎えてくれます。 | 現存天守の背後には人柱お静の供養碑が。 悲しい伝説が刻まれています。 |
現存天守をもう一枚。 非常に古風な天守です。 |
こちらは丸岡城の石碑。 天守に負けず巨大です。 |
現存天守をさらに一枚。 木々に隠れてしまったのが残念…… |
天守下をぐるっと回り、石垣を撮影。 石垣も味があって良いですよね! |
お城データ
所在地 | 福井県坂井市丸岡町霞町1丁目 |
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築城者 | 柴田勝豊 |
別名 | 霞ヶ城 |
城郭形態 | 平山城 |
備考 | 現存天守を持つ城。天守は現存最古と言われる。 |
アクセス | 北陸自動車道「丸岡IC」より車で5分 |
駐車場 | あり |
満足度 | ★★★☆☆ |
地図 | |
訪問日 | 2018年7月22日 |
参考資料
参考資料一覧 |
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ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地案内板・配布パンフレット・城郭放浪記(PEI様個人サイト) |