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水戸城 (みとじょう) |
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写真は三の丸北堀です 城郭関連の本 城郭関連商品 |
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水戸城訪問記壱 水戸城訪問記弐 冬の水戸城 | |||||||||||||||||||||
水戸城は平安時代末期、常陸大掾氏の一族である馬場資幹が築城しました。 以後水戸城は常陸大掾氏の総領となり、常陸大掾氏は常陸の国全域を支配しました。 1416年に上杉禅秀の乱が起こると、時の当主・大掾満幹は上杉禅秀に味方しますが乱は失敗。 大掾満幹は水戸城を江戸通房に渡すこととなりますが、満幹はそれを拒否しました。 ですが1426年、通房は満幹が留守の隙を狙って水戸城を占拠。 以後大掾氏は、水戸城奪還を何度か企てましたが果たせず、没落してしまったのです。 一方の江戸氏は佐竹氏と同盟を結んでいましたが、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの後、佐竹氏に水戸城を明け渡しを迫られますが拒否。 そのため佐竹氏は水戸城およびその支城群を攻め、間もなく水戸城は開城。 江戸氏は結城氏を頼って落ち延びました。 ですが関ヶ原の戦いの後、佐竹氏は秋田に転封となったため、水戸城には武田信吉(家康の五男)が入りますが、間もなく病死。 1609年に徳川頼房(家康の十一男)が水戸城に入り、1625年には水戸城の大改修および城下町の整備を行いました。 1841年には藩校として弘道館が設立され、当時としては最先端の学問が講じられましたが、1868年、大手橋周辺での戦闘を経て開城。廃藩置県の際に廃城となりました。 その後、1945年の空襲により、珍しい構造であった御三階櫓が焼失しました。 |
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参考文献・参考サイト ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地解説板・埋もれた古城(ウモ氏個人サイト) |