茨城県の城TOPへ
水戸城
(みとじょう)
堀
写真は三の丸北堀です
城郭関連の本 城郭関連商品
所在地 茨城県水戸市三の丸
築城者 馬場資幹
別名 馬場城・水府城
城郭形態 平山城
備考 三の丸周辺に大規模な堀や土塁が残り、一番の見所である。
アクセス JR常磐線「水戸駅」より徒歩10分
駐車場 旧県庁前等の駐車場(有料)を利用
満足度 ★★★★☆(5段階中4段階)
写真販売 弘道館正庁(フォトライブラリー)
地図 Mapion
水戸城訪問記壱 水戸城訪問記弐 冬の水戸城
水戸城は平安時代末期、常陸大掾氏の一族である馬場資幹が築城しました。
以後水戸城は常陸大掾氏の総領となり、常陸大掾氏は常陸の国全域を支配しました。
1416年に上杉禅秀の乱が起こると、時の当主・大掾満幹は上杉禅秀に味方しますが乱は失敗。
大掾満幹は水戸城を江戸通房に渡すこととなりますが、満幹はそれを拒否しました。
ですが1426年、通房は満幹が留守の隙を狙って水戸城を占拠。
以後大掾氏は、水戸城奪還を何度か企てましたが果たせず、没落してしまったのです。
一方の江戸氏は佐竹氏と同盟を結んでいましたが、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの後、佐竹氏に水戸城を明け渡しを迫られますが拒否。
そのため佐竹氏は水戸城およびその支城群を攻め、間もなく水戸城は開城。
江戸氏は結城氏を頼って落ち延びました。
ですが関ヶ原の戦いの後、佐竹氏は秋田に転封となったため、水戸城には武田信吉(家康の五男)が入りますが、間もなく病死。
1609年に徳川頼房(家康の十一男)が水戸城に入り、1625年には水戸城の大改修および城下町の整備を行いました。
1841年には藩校として弘道館が設立され、当時としては最先端の学問が講じられましたが、1868年、大手橋周辺での戦闘を経て開城。廃藩置県の際に廃城となりました。
その後、1945年の空襲により、珍しい構造であった御三階櫓が焼失しました。
参考文献・参考サイト
ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地解説板・埋もれた古城(ウモ氏個人サイト)
inserted by FC2 system