浪岡城(なみおかじょう)
歴史
浪岡城の築城時期は定かではありませんが、浪岡北畠氏によって築城されたのは確実であり、応仁年間(1467年~1468年)に北畠顕義に築城されたと言う説が有力です。
浪岡北畠氏は浪岡氏として、代々浪岡城を居城としましたが、1578年に大浦(津軽)為信によって浪岡城は攻められ落城。
時の当主・浪岡顕村は西根の寺で自害したとも、舅・安東愛季を頼って落ち延びたとも言われています。
浪岡城は大浦氏の持城となりましたが、間もなく廃城となり、城跡は畑や水田として使われました。
浪岡城訪問記
案内所から少し歩くと猿楽館に到着。 能舞台があったかも知れない場所、とのことですが、今は何もありません。 |
猿楽館~東館間の堀。 なかなかの規模ですが、草が覆っているため写真では分かりません…… |
大浦家の代官が使用したとされる東館。 浪岡城の各館の中では狭い空間です。 |
東館にある立体模型図。 浪岡城の規模が分かります。 |
東館からは複雑な堀が一望できます。 浪岡城の一番の見どころでしょう。 |
しかし、どうも堀が浅いような…… 草がなければ深いのでしょうか? |
家臣らが武家屋敷町を作っていたとされる北館。 その入り口がここですが、その時大雨が急に! |
大雨に打たれながら撮影した北館内部。 屋敷の様子が板塀で区画されています。 |
北館の周囲は土塁で覆われています。 さすがに重厚ですね。 |
北館には井戸もあります。 大雨のため、近づく気力も出ず…… |
北館の西側虎口。 まさに「城」という感じの虎口です。 |
北館~西館付近の堀。 大規模ですが、やはり草が…… |
まったく調査がなされてないという西館。 北館につぐ広さを持つ郭です。 |
西館にある謎の土壇。 何に使われていたのでしょうか? |
本丸に相当する内館。 どちらかというと狭い郭です。 |
内館にある石碑。 内館の端に、ポツンと建っています。 |
内館を下ると見える案内板。 この頃には雨も上がっていました。 |
お城データ
所在地 | 青森県青森市浪岡大字浪岡五所 |
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築城者 | 北畠顕義? |
別名 | なし |
城郭形態 | 平城 |
備考 | 土塁・堀跡などが見どころだが、夏場は草に覆われていて写真写りが悪い…… |
アクセス | JR奥羽本線「浪岡駅」より徒歩30分 |
駐車場 | あり |
満足度 | ★★★☆☆ |
地図 | |
訪問日 | 2014年7月27日 |
参考資料
参考資料一覧 |
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ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地案内板 |