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岡山城
(おかやまじょう)
天守
写真は復興天守です
城郭関連の本 城郭関連商品
所在地 岡山県岡山市北区丸の内2丁目
築城者 上神高直
別名 烏城・金烏城
城郭形態 平山城
備考 天守は残念ながら現存ではなく、空襲で焼失した後に復興されたもの。
現存の遺構として櫓や石垣、堀などが残る。
アクセス JR山陽本線線「岡山駅」より徒歩15分
駐車場 あり
満足度 ★★★★☆(5段階中4段階)
地図 Mapion
岡山城訪問記壱 岡山城訪問記弐
岡山城は南北朝時代の正平年間(1346年〜1369年)、上神高直がこの地に築いた砦が始まりだと言われています。
その後しばらく、岡山城の歴史については明らかではなくなるのですが、戦国時代になると、岡山城は金光氏の居城となっていました。
ところが1570年、宇喜多直家が金光宗高を謀殺し岡山城を奪います。
直家はやがて、自らが仕えていた三浦家に対し事実上の下克上を起こし、備前・美作をはじめとする広大な領土を手に入れたのです。
直家の子である秀家は豊臣秀吉に属し、57万4千石の大大名となったため、岡山城は1590年から1597年にかけて大改築がおこなわれ、天守などが造営されました。
1600年の関ヶ原の戦い後、秀家は八丈島に流され、岡山城には代わりに小早川秀秋が入りました。
秀秋は岡山城を拡張し、城下町の発展に努めましたが、1602年に突然急死。
岡山城は池田忠継に与えられましたが、わずか5歳だったため、兄の姫路城主池田利隆が代政をおこないました。
しかし忠継は1615年に亡くなってしまったため、岡山城は弟の池田忠雄、次いでその子・光仲に与えられました。
ですが光仲はあまりにも幼かったため(城主となった1632年にわずか2歳)、岡山城には利隆の子であり鳥取城主である池田光政が入りました。
以後岡山城は、光政系池田氏が幕末まで続き、明治維新を迎えたのです。 
参考文献・参考サイト
ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地解説板・現地配布パンフレット・余湖くんのお城のページ(余湖様個人サイト)
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