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大垣城
(おおがきじょう)
天守と櫓と戸田氏鉄像
写真は乾隅櫓(写真左)・戸田氏鉄像(写真中央)
復原天守(写真やや右)です。
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所在地 岐阜県大垣市郭町二丁目
築城者 宮川安定
別名 巨鹿城
城郭形態 平城
備考 二つの門・二つの櫓が残る。
惜しくも火災で焼けてしまった
かつての国宝天守は復原である。
アクセス JR東海道本線「大垣」駅より
徒歩8分。
駐車場 なし
満足度 ★★★☆☆(5段階中3段階)
地図 Mapion
大垣城訪問記
大垣城の築城時期については諸説あり、1500年頃、この地の土豪・竹腰尚綱が築城したとも、1535年頃、大垣氏の拠点であったこの城を、宮川安定が奪い本格的に整備したとも言われています。
1583年、池田恒興が城主となり、それ以後城主は目まぐるしく変わり、1595年、伊藤祐盛が城主の時に天守が築かれました。
1600年の関ヶ原の戦いの際、大垣城は西軍の本陣として使用され、大垣城を守っていた福原直高(石田三成の娘婿)は、戦い終了後も籠城し抵抗していましたが、降伏勧告に応じて開城しました。
江戸時代には親藩・譜代大名が城主を歴任し、1634年に戸田氏鉄が城主となった後、戸田氏が十一代続いた後に明治時代を迎えました。
参考文献・参考サイト
ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地解説板・ザ・登城(46様個人サイト)
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