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坂戸城 (さかどじょう) |
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写真は実城から見た大城と小城です 城郭関連の本 城郭関連商品 |
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坂戸城訪問記壱 坂戸城訪問記弐 | |||||||||||||||||||
坂戸城の築城時期については定かではありませんが、室町時代に越後を領国としていた新田氏の一族が築いたというのが、現在有力な説となっています。 やがて上杉憲顕が越後守護となると、家臣である長尾氏をこの坂戸城に入れ、上田庄一帯と関越国境を守らせました。 戦国時代になると、坂戸城の長尾氏は守護代長尾氏と反目していましたが、1551年、坂戸城を上杉謙信が攻撃するという話が広まると、時の城主・長尾政景は謙信に降伏。 以後、政景は上杉家の重臣として仕えますが、1564年、野尻池で舟遊び中に謎の死を遂げました。 1578年の御館の乱に際し、坂戸城に拠る上田衆は上杉景勝を支持したため、上杉景虎を支持する後北条氏に攻められましたが、守り抜きました。 1582年には滝川一益の攻撃を受けますが撃退し、坂戸城は堅城としての名を高めたと言います。 1598年、景勝が会津に転封となると、上田衆も景勝に従い会津に移り、坂戸城には堀直竒が入城しました。 直竒は坂戸城を近世城郭へと改修していきましたが、1610年に信州飯山へ転封となり、坂戸城は廃城となったのです。 |
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参考文献・参考サイト ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地解説板・現地配布パンフレット・埋もれた古城(ウモ氏個人サイト) |