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佐貫城
(さぬきじょう)
案内板と門跡
写真は案内板と門跡(写真奥)です。
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所在地 千葉県富津市佐貫
築城者 真里谷武田氏
別名 亀ヶ城
城郭形態 平山城
備考 手書きと見まごうほど質素な解説板が立っている。
アクセス JR内房線「佐貫町駅」より徒歩30分
駐車場 駐車スペースはある。
満足度 ★★☆☆☆(5段階中2段階)
地図 Mapion
佐貫城訪問記
佐貫城の築城者は真里谷武田氏といわれていますが、一説には、関東管領上杉氏の家宰である長尾氏によって築城されたとも言われています。
やがて、佐貫城は里見氏の持城となりますが、1544年、北条綱成により佐貫城は攻撃を受けます。
1556年、里見義弘は佐貫城を本拠としますが、1559年には後北条氏によって奪われてしまいます。
その後一時期、佐貫城は後北条氏の庇護を受けていた足利義氏の城となっていましたが、1577年の後北条氏と里見氏の和睦により再び里見氏の城となり、1580年の里見氏内部の家督争い後は、後北条氏の配下から里見氏の家臣となった加藤氏が城番となりました。
ですが1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの際、里見氏は遅参を理由に上総の地を奪われてしまい、佐貫城には徳川氏譜代の内藤氏、松平氏などが入り、里見氏を牽制する役割を果たすようになります。
1600年の関ヶ原の戦いの後に一時廃城となりますが、1710年、阿部正鎮が城を再興。以後は阿部氏の居城となり、明治時代の廃藩置県によって廃城となりました。
参考文献・参考サイト
ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地解説板・埋もれた古城(ウモ氏個人サイト)
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