新庄城(しんじょうじょう)
歴史
かつてこの場所には、国人領主の本拠である鵜沼城がありました。
戦国時代になると、この地は日野氏が領しており、やがて日野氏は最上氏に従属。
1614年に日野定重が鵜沼城を拡張し、名称を新庄城と改めました。
1622年に最上氏が改易されると、日野氏は藤堂氏に従うこととなり、代わって新庄城には戸沢政盛が入ります。
政盛は当初鮭延城に入ったものの、新庄城が領地の中心にあり、本拠地に便利だからとの理由で、江戸幕府に『新庄城を本城としたい』と申請し、許可されると新庄城を更に拡大したのです。
しかし1636年に火災により天守が焼失してしまい、以後天守が再建されることはありませんでした。
1868年の戊辰戦争において、戸沢氏(新庄藩)は当初、奥羽越烈藩同盟に属していましたが、やがて同盟を脱し新政府側に与したため、 同盟側である庄内藩の攻撃を受け新庄城は落城。
同年に廃城となりました。
新庄城訪問記
■訪問記を開くお城データ
所在地 | 山形県新庄市堀端町 |
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築城者 | 日野定重 |
別名 | 沼田城・鵜沼城 |
城郭形態 | 平城 |
備考 | 現在は最上公園となり、土塁や水堀が見所となっている |
アクセス | JR奥羽本線他「新庄駅」より徒歩20分 |
駐車場 | あり |
満足度 | ★★★☆☆ |
写真販売 | 水堀(フォトライブラリー) |
地図 | |
訪問日 | 2009年8月24日 |
参考資料
参考資料一覧 |
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ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地案内板・余湖くんのお城のページ(余湖様個人サイト) |