相馬 義胤 戻る
どんな人?

陸奥の戦国大名相馬氏の第十六代当主。
伊達家と争い、滅亡寸前まで追い詰められたが
後に豊臣秀吉に属すことで命脈を保った。
 1600年の関ヶ原の戦いでは中立の立場を取り、
そのため所領を没収されたが、
本多正信と息子利胤のとりなしによって
本領を安堵された。

生年 1548年
没年 1635年
居城 小高城・牛越城
父親 相馬盛胤
母親 掛田義宗の娘
兄弟 相馬高胤・相馬郷胤
伊達稙宗の娘
息子 相馬利胤
義胤の歴史 コラム
1 伊達家との争い 1 武士として生きた、義胤
2 天下の動きの中で
参考文献
戦国人名事典・コンパクト版(新人物往来社)・史伝伊達政宗(学習研究社)
信長の野望天下創世武将file(KOEI)・信長の野望・覇王伝武将ファイル(KOEI)
inserted by FC2 system