近畿地方の城TOPへ
和歌山城
(わかやまじょう)
天守
写真は復興天守です。
城郭関連の本 城郭関連商品
所在地 和歌山県和歌山市一番丁
建築者 豊臣秀長
別名 虎伏城・竹垣城
城郭形態 平山城
備考 現在建っている天守は、コンクリートで復元されたもの。
アクセス JR和歌山線他「和歌山駅」より徒歩20分
駐車場 あり
満足度 ★★★★☆(5段階中4段階)
地図 Mapion
和歌山城訪問記
和歌山城は1585年、兄・豊臣秀吉の命を受けた豊臣秀長により築城されました。
しかし、秀長は間もなく大和郡山を与えられたため、和歌山城には1586年に桑山重晴が入りました。
1600年の関ヶ原の戦いののち、和歌山城には浅野幸行が入り、城の改修を進めていきます。
1619年に浅野氏が広島城に加増転封となると、徳川家康の十男・徳川頼宣が入城し、紀州徳川家が成立しました。
頼宣は兄・徳川秀忠から資金援助を受け、和歌山城の改修と城下町の整備を大規模に実施しました。
それは、江戸幕府から謀反の疑いをかけられるほど大規模なものであり、以後250年間の和歌山繁栄の基礎となったのです。
1873年の廃城令を受け、和歌山城は廃城となりましたが、1901年に本丸・二の丸が和歌山公園として一般開放されました。
また1935年には、天守など主要な建物が国宝に指定されましたが、1945年のアメリカ軍の爆撃により焼失。
1958年に東京工業大学名誉教授・藤岡通夫の指示の元、天守が鉄筋コンクリートにより再建されました。
参考文献・参考サイト
ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地解説板・現地配布パンフレット
inserted by FC2 system