山形城(やまがたじょう)
歴史
山形城は1357年、羽州探題としてこの地に入った斯波兼頼により築城されました。
その後、斯波氏は最上氏を名乗り、代々この城を居城としたのです。
1600年の関ヶ原の戦いにおいて、当主・最上義光は東軍に属し、慶長出羽合戦で功を挙げたため、戦後57万石の大大名として取り立てられました。
そのため義光は、山形城と城下町を57万石の大大名にふさわしい形に拡張し、1615年頃にようやく完成したのです。
ですが最上氏は、内紛により1622年に改易処分となり、山形城には鳥居忠政が入ります。
その後、山形城の城主は保科氏・松平氏・奥平氏・堀田氏・結城氏・松平氏・大給氏・秋元氏などと目まぐるしく代わり、やがて水野氏が入ります。
ですが水野氏の際、山形藩の石高はたったの5万石となっていたため、城の維持が困難となっており、山形城の中心は二の丸に移されており、三の丸はなんと田畑として利用されていたと言われています。
明治時代になると、山形城の本丸と二の丸が陸軍の駐屯地となり、三の丸は練兵場や耕作地として使用されました。
第二次世界大戦後、二の丸が霞城公園となり、1986年に国指定史跡となったのです。
山形城訪問記
■訪問記を開くお城データ
所在地 | 山形県山形市霞城町 |
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築城者 | 斯波兼頼 |
別名 | 霞城・霞ヶ城・吉字城 |
城郭形態 | 平城 |
備考 | 現在は霞上公園となり、二の丸東大手門が復原されている。 |
アクセス | JR奥羽本線他「山形駅」より徒歩10分 |
駐車場 | あり |
満足度 | ★★★★☆ |
写真販売 | 二の丸大手門(フォトライブラリー)・最上義光像(PIXTA) |
地図 | |
訪問日 | 2009年8月24日・2014年11月22日 |
参考資料
参考資料一覧 |
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ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地案内板・現地配布パンフレット |