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八代城 (やつしろじょう) |
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写真は天守台と水堀です。 城郭関連の本 城郭関連商品 |
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八代城訪問記 | |
もともとこの地には、小西行長が築城した麦島城がありました。 関ヶ原の戦い後、肥後には加藤清正が入り、家臣の加藤正方が麦島城主となりました。 1615年、徳川家康は一国一城令を発布しました。 ですが、薩摩の島津氏を抑えるため、肥後では熊本城と麦島城の2城の存続が、例外的に認められました。 1619年、麦島城は大地震のため倒壊してしまいました。 そのため、加藤忠広は幕府の許可を得た上で、現在残る八代城を築城したのです。 1632年、加藤氏が改易となると、肥後には細川忠利が入ります。 忠利は当然、本城である熊本城を居城としましたが、忠利の父・細川忠興が八代城を隠居所として使用しました。 1646年に忠興が没すると、細川家の筆頭家老・松井興長が城主となりました。 以後、八代城は松井氏代々の居城として、1870年の廃城まで存続したのです。 |
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参考文献・参考サイト ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地解説板・お城の旅日記(中西様個人サイト) |