横手城(よこてじょう)
歴史
横手城の築城時期については諸説がありますが、1554年頃、この地を領有していた小野寺輝道によって築城されたと言う説が有力で、その頃は朝倉城と言われていました。
また土砂崩れ・敵の侵入の防止のためにに韮(にら)を植えたため、韮城とも呼ばれました。
1600年の関ヶ原の戦いに際し、時の城主・小野寺義道は上杉景勝に通じたことから、戦後所領没収となり石見国に配流となってしまいます。
1602年、横手城には佐竹氏の城となり、横手城は大規模な改築を受けました。
1622年、宇都宮城釣天井事件により流罪となった本多正純がこの城に入り、正純は1637年に亡くなるまで、この城で過ごしました。
1672年に城代として戸村義連が入ると、以後戸村氏が8代続き明治時代を迎えます。
1868年の戊辰戦争において、佐竹氏は奥羽越烈藩同盟を脱し新政府側に与したため、奥羽越烈藩同盟の仙台藩・庄内藩の攻撃を受け、横手城は落城しています。
なお現在の模擬天守は1965年に建築されたものであり、東北第1号の模擬天守となりました。
横手城訪問記
横手城への入り口。 道にある案内板に従うと、相当な大回りを させられます。 横手病院すぐ先の道を右に折れましょう。 |
左の入り口から入って進んでいくと、 やがて大手門跡に到着します。 |
本丸や二の丸は、現在公園となっています。 その先には模擬天守が見えます。 |
横手城の案内板。 名称は朝倉城になっています。 |
横手城にはわずかに土塁も残ります。 貴重な遺構ですね。 |
城址の雰囲気を残す帯曲輪跡。 |
おそらく堀であろう地形。 現在は車道となっています。 |
現在は秋田神社となっている本丸跡。 ここにはいくつかの石碑があり…… |
まずこちらが城址碑。 「朝倉城跡」と彫られています。 |
こちらは本丸跡の碑。 ひっそりと建っているので、なかなか気が付きません。 |
さて、ここから三枚は模擬天守。 横手市のシンボルとなっています。 |
案内板に従ったせいで40分程到着が遅れ、 日が沈みかけていたので良い写真が撮れず…… |
それでも、模擬天守はなかなかのもの。 さすが東北地方第1号なだけはあります。 |
横手城南高校付近に建つ標柱。 案内板に従うとここに来ます。 車で来ているのなら問題ないのですが… |
横手城の近くに建つ本多正純墓所。 宇都宮城釣天井事件の被害者です。 |
横手川のほとりに建つ、「八柏大和守殉難の地」の碑。 最上氏の謀略により、主君・小野寺義道に処刑された悲劇の人物です。 |
お城データ
所在地 | 秋田県大仙市協和境 |
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築城者 | 小野寺輝道 |
別名 | 朝倉城・阿櫻城・韮城 |
城郭形態 | 山城 |
備考 | 現在は模擬天守が建つ。 徒歩の場合、横手病院すぐ先の道を右に折れると近道。 |
アクセス | JR奥羽本線他「横手駅」より徒歩20分 |
駐車場 | あり |
満足度 | ★★★☆☆ |
地図 | |
訪問日 | 2009年8月23日 |
参考資料
参考資料一覧 |
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ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地案内板 |