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米沢城(よねざわじょう)

水堀1 水堀1

歴史

米沢城は1238年、鎌倉幕府の重臣・大江広元の次男である長井時広によって築城されました。
その後、長井氏は150年以上米沢城を本拠としてきましたが、室町時代前期に伊達宗遠により滅ぼされ、米沢城は伊達氏の城となります。
1548年に伊達晴宗が本拠を米沢城に移した後、米沢城は伊達氏の正式な本拠となり、独眼竜として有名な伊達政宗もこの城で生まれています。
1591年、米沢城には会津の地を与えられた蒲生氏郷の重臣・蒲生郷安が入り、郷安は米沢城を改築しますが、1597年に氏郷の子・秀行が宇都宮城に移封となると、代わって会津には上杉景勝が入り、景勝は重臣・直江兼続に米沢城を与えました。
1600年の関ヶ原の戦い後、上杉家は会津120万石から米沢30万石に大幅減封となり、それ以後米沢城は、上杉氏の本拠となります。
米沢城は景勝の命により1608年から拡張され、1613年に完成を見ました。
1871年、米沢城は廃藩置県を受け廃城となり、最後の藩主となった上杉斉憲は上杉神社を建立。
1874年、米沢城は松ヶ岬公園として一般市民に開放されました。

米沢城訪問記

水堀2 水堀2 上杉鷹山像1 上杉鷹山像1
駅から思った以上に距離があり、到着した頃にはすでに日没直前……
暗い写真となってしまった本丸東の堀。
名君として讃えられている上杉鷹山の像。
案内板 案内板 伊達政宗生誕の地 伊達政宗生誕の地
米沢城の解説板。
上杉景勝伊達政宗がクローズアップされています。
下写真の上杉鷹山像の脇にある、伊達政宗公生誕の地の標柱。
石碑 石碑 主従の像 主従の像
2014年11月に再訪したところ、伊達政宗公生誕の地の標柱は立派な石碑となっていました。 上杉景勝直江兼続主従の像。
二人の顔がそっくりすぎる……
上杉謙信像 上杉謙信像 上杉鷹山像2 上杉鷹山像2
説明する必要もない上杉謙信像。
存在感のある凛々しい像です。
なぜかもう一つある上杉鷹山像。
いくら名君だからといって、一つの場所に
2つも像を作らなくとも……^^;
祠堂跡 祠堂跡 家訓の石碑 家訓の石碑
上杉謙信祠堂跡。
上杉謙信の遺骸が安置されていた場所です。
上杉謙信公家訓十六ヶ条。
一般には「宝在心」と言われています。
春日神社 春日神社 水堀3 水堀3
こちらは本丸内にある春日神社。
もともと春日山頂にあったものを、米沢に移したものだそうです。
時間が圧しているのでこれにて退散。
写真は本丸北の水堀です。
水堀4 水堀4 水堀5 水堀5
二の丸の水堀もかすかに残ります。 最後に本丸西の水堀を一枚。
米沢城、いつかまた来るぞ!

お城データ

所在地 山形県米沢市丸の内一丁目
築城者 長井時広
別名 舞鶴城・松ヶ岬城
城郭形態 平城
備考 現在は上杉神社となっており、上杉謙信の像などが見所。
アクセス JR米坂線「南米沢駅」より徒歩20分
駐車場 あり
満足度 ★★★☆☆
地図 Mapion
訪問日 2009年8月24日・2014年11月23日

参考資料

参考資料一覧
ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地案内板・お城の旅日記(中西様個人サイト)

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