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浅井 茶々
(あざい ちゃちゃ)
どんな人?

淀殿という名でとても有名。
浅井長政の長女で、後に豊臣秀吉の側室となり、豊臣秀頼を生んだ。
秀吉死後は徳川家康と対立し、大坂の陣では実質の指導者となるが、敗れ自害した。

浅井茶々関連の本 オススメ度
北政所と淀殿 ★★★★★
淀殿 ★★★★☆
茶々と秀吉 ★★★☆☆
関連史跡写真
大坂城(フォトライブラリー)
生年 1569年?
没年 1615年
住んだ城 小谷城・清洲城北庄城大坂城
父親 浅井長政
母親 織田市
兄弟 万福丸・万寿丸・浅井初浅井江
豊臣秀吉
子供 豊臣鶴丸・豊臣秀頼
豊臣完子(猶女)
茶々の歴史 コラム
1 二度の落城と、父母の死 1 茶々の名前は?
2 豊臣秀吉の側室に 2 茶々と大野治長
3 大坂の陣と豊臣の最期 3 茶々は大坂城で死んでいない?
4 茶々の性格は?
5 秀吉が茶々を側室にした理由は?
6 茶々と、他の秀吉の妻との仲は?
参考文献
戦国人名事典・コンパクト版(新人物往来社)・戦国武心伝(歴史群像シリーズ・学習研究社)
信長の野望天下創世武将file(KOEI)・激闘大坂の陣(歴史群像シリーズ・学習研究社)
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