本多忠勝TOPへ
忠勝を評価した天下人達
 忠勝は主君である家康からはもちろん、信長や秀吉からも評価されていました。
 例えば信長は、自分の家臣に忠勝を紹介する際に「これは三河の本多平八郎という者で、花も実も兼ね備えた勇士である」と紹介し、更に姉川の戦いの忠勝単騎駆けの逸話の際は、「本多平八郎は日本の張飛である」と評しました。
 秀吉はまた、かねてから名が聞こえていた忠勝に接近するため、家康を通じて忠勝を召しだし、諸将の前で「佐藤忠信(源義経の臣)の忠義にかなうのは、この本多平八郎をおいて他にはいないであろう」と言って、忠信の兜を差し出しました。
 しかし忠勝はそんな秀吉の心を見透かしており、「自分は家康公の譜代の臣でありますゆえ」とそれを固辞し、秀吉の誘いには乗りませんでした。
 更に家康は、神君伊賀越えが無事に成功した際「この度命を落とさずにすんだのは忠勝のおかげである。思えば、八幡大菩薩がお前を遣わして自分を救ってくれたとしか思えぬ」と、忠勝を評しました。
inserted by FC2 system