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二俣城
(ふたまたじょう)
天守台
写真は天守台です。
城郭関連の本 城郭関連商品
所在地 静岡県浜松市天竜区二俣町二俣
築城者 二俣氏
別名 蜷原城
城郭形態 山城
備考 現在は公園となり、天守台などが残っている。
アクセス 東名自動車道「浜松IC」より車で30分
駐車場 あり
満足度 ★★★☆☆(5段階中3段階)
写真販売 天守台(フォトライブラリー)
地図 Mapion
二俣城訪問記
二俣城の築城時期については明らかではありませんが、戦国時代前期、今川氏の家臣である二俣氏によって築城されたといわれています。
二俣氏が米倉城に移った後は、松井氏が入城しましたが、今川氏の弱体化後、徳川家康により攻略され、以後は徳川氏の城となりました。 
しかし1572年、武田信玄が西上作戦を開始すると、二俣城は信玄により攻略され、家臣である依田信守・信蕃親子が城番として入りました。
1575年、長篠の戦いで武田勝頼が織田信長に大敗すると、徳川家康は二俣城を奪還すべく二俣城を包囲。
依田信守はその中で病死し、子である信蕃は頑強に抵抗を続けましたが、武田勝頼の勧告により開城し、二俣城には家康の家臣・大久保忠世が城主として入りました。
1580年8月、徳川家康は織田信長から、正妻・築山殿と嫡子・信康が、武田氏と共謀して謀反をしようとしているという疑いをかけられました。
そのため同年9月15日、家康は信康を二俣城で自害させたのです。
徳川家康が関東に移封となった後、大久保忠世も小田原城に移封となり、1591年に二俣城は廃城となりました。
参考文献・参考サイト
ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地解説板・余湖くんのお城のページ(余湖氏個人サイト)
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