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岩槻城 (いわつきじょう) |
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岩槻城訪問記 春の岩槻城 | |||||||||||||||||||||
岩槻城は、1457年に、上杉持朝の命により、太田道真・太田道灌親子により築城されました。 道灌の養子である資家が初代城主となり、その後も太田氏が城主となっていましたが、1525年、資家の息子資頼の代に、岩槻城は北条氏綱によって落城してしまいます。 ですが1530年、資頼は岩槻城を奪還し、再び城主となりました。 その後、資頼の息子資正が城主となりますが、1564年、北条氏康により岩槻城は落城。 資正は佐竹氏を頼って落ち延び、ここに再び、岩槻城は後北条氏の城となりました。 1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの際、岩槻城は浅野長政に攻められて落城。 徳川家康の関東転封後は、高力清長が城主となり、その後は城主が目まぐるしく交代し、大岡氏が入った後は、そのまま明治時代を迎えます。 なお、1609年には火災により、城址の大部分が焼失してしまいましたが、高力忠房が迅速に三の丸を復興させたことから、城の中心はそれ以後三の丸となりました。 1871年に岩槻城は陸軍省の管轄となり、1872年には民間に払い下げが行われました。 その後は廃城となったものの、現在は公園として整備されています。 |
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参考文献・参考サイト ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地解説板・埋もれた古城(ウモ様個人サイト) |