見性院(けんしょういん)
人物概略
甲斐の戦国大名武田信玄の次女で、信玄の家臣である穴山信君に嫁いだ。
穴山信君・息子勝千代が亡くなった際、見性院は落飾して出家し、徳川家康の保護を受けた。
見性院と武田の滅亡
見性院は、甲斐の戦国大名・武田信玄の次女として生まれました。
1558年頃、見性院は信玄の臣である穴山信君(梅雪)に嫁ぎ、長子・勝千代を生みました。
ところが1582年に、信君が武田信玄の後継者である武田勝頼を裏切ることを決めます。
それに対し見性院は、一族よりも夫の信君を選び、信君に従いました。
その後武田勝頼が天目山で自害したことにより、武田家は滅亡。
信長に降伏していた信君を、織田信長は武田氏を継ぐものとして指名しました。
しかし同年、本能寺の変の混乱の中で、信君はその命を落としてしまいます。
また信君の後を継いだ勝千代も、それから間もなくして亡くなってしまいました。
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見性院は仏門に入り、落飾して夫や息子の冥福を祈る日々を送りました。
そんな姿を見た家康が同情したのでしょうか、見性院は家康により五百石を与えられました。
更に家康は側室の子である信吉を、見性院の養子とし武田家の名跡を継がせました。
その後、見性院は江戸城の北の丸に屋敷を与えられ、平穏に余生を送ったといわれています。
なお、信吉は武田家の跡取りとなったのですが、彼もまた、夭折しています。
関連史跡
人物データ
生年 |
不明 |
没年 |
1622年 |
父親 |
武田信玄 |
母親 |
三条夫人 |
姉妹 |
黄梅院・真理姫・菊姫・松姫 |
夫 |
穴山信君 |
子息 |
穴山勝千代 |
参考書籍