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孝高の人使いの上手さ
 さて、孝高は家臣たちの運用、つまりは人の使い方が上手であったと言われています。
 では、孝高の人使いの秘訣とは何だったのでしょうか?
 いくつかの逸話から、それを見ていきましょう。

 ある日孝高は、家臣や息子長政を前にして、こう言った。
「人間には馬が合うものと合わない者がいる、馬が合えば、二人の力が三人分にも四人分にもなるが、馬が合わなければ逆効果にしかならない」(黒田家譜)

 さらに孝高は、家臣たちの交友関係を調査し、それを「家中間善悪の帳」とまとめ、他人には見せず常に側において、家臣たちに仕事を与える際、その組み合わせを考えるための指針にしていた。(黒田文書)

 関ヶ原の戦いの際に募集した浪人たちの閲兵を行った際、孝高は一人一人を見てまわり、名を名乗らせた上で、
屈強そうな者には「そなたは強そうだ。手柄を立てて名を挙げるのは、この時であるぞ」、若者には「引き締まった凛々しい顔つきをしている。そなたなら、あっぱれな手柄を立てるに違いない」、
老人には「老体に鞭打って自分のために戦ってくれるとは、見事な志である。若い者が見習うような活躍をするだろう」など、相手に応じて励ましたので、浪人達は奮い立ち、士気は大いに上がった(古郷物語)。

その他にも数多くの逸話があります。
それら全てが真実ではないでしょうが、これらのような細やかな心遣いがあったからこそ、孝高は家臣や士卒を巧みに使いこなすことができたのでしょう。
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