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名胡桃城(なぐるみじょう)

土橋 土橋

歴史

名胡桃城は1500年頃、沼田城の支城として築城されました。
戦国時代の中、名胡桃城は沼田城攻略の要衝として、武田氏・上杉氏・後北条氏の間で争奪戦が繰り広げられましたが、上杉氏の圧力が弱まったことから真田昌幸が侵攻し、1580年、名胡桃城は昌幸の城となりました。
1589年、豊臣秀吉の裁定により、名胡桃城は真田氏のものとなりましたが、これに不満をもった後北条氏は、沼田城の猪俣邦憲を使い名胡桃城を奪取。
城を守っていた鈴木主水は責任を取り自害し、これに怒った豊臣秀吉は小田原攻めを発動。
小田原攻め終了後、名胡桃城は真田氏に与えられました。
しかし徳川家の時代になると、一国一城令により名胡桃城は廃城となりました。

名胡桃城訪問記

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お城データ

所在地 群馬県利根郡みなかみ町下津
築城者 沼田景冬
別名 なし
城郭形態 崖城
備考 国道が城址を二分している。 まさに断崖絶壁の城である。
アクセス JR上越線「後閑」駅より徒歩30分
駐車場 あり
満足度 ★★★★☆
地図 Mapion
訪問日 2006年4月29日・2021年8月10日

参考資料

参考資料一覧
ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地案内板・埋もれた古城(ウモ氏個人サイト)

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