丹羽 長秀 戻る
どんな人?

織田信長の臣で、政治・戦の両面で活躍し、
「米五郎左」と呼ばれた武将。
 信長の養女を娶り、1582年の馬揃えでも
一番に入場するなど、信長に厚遇された。
 信長亡き後は羽柴秀吉と結ぶが、
その後病により体調を崩し、死去した。

おすすめ長秀関連の本
豪壮秀吉軍団
丹羽長秀
信長の家臣団
生年 1535年
没年 1585年
居城 佐和山城・府中城・大溝城・北ノ庄城
父親 丹羽長政
母親 不明
兄弟 丹羽長忠・丹羽秀重
織田信広の娘(信長の養女)
息子 丹羽長重・丹羽長昌・藤堂高吉
蜂屋直政・丹羽長俊・丹羽長次
長秀の歴史 コラム
1 信長に仕えた長秀の活躍 1 米五郎左と呼ばれた長秀
2 織田家中で重きをなした長秀 2 鬼五郎左と呼ばれた長秀
3 信長亡き後の長秀 3 人格者であった長秀
4 長秀の最期とは?
参考文献
戦国人名事典・コンパクト版(新人物往来社)・激震織田信長(学習研究社)
信長の野望天下創世武将file(KOEI)・信長の野望・覇王伝武将ファイル(KOEI)
この一冊で「戦国武将」101人がわかる!(三笠書房)・豪壮秀吉軍団(学習研究社)
inserted by FC2 system