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太田金山城 (おおたかなやまじょう) |
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太田金山城訪問記壱 太田金山城訪問記弐 | |||||||||||||||||||||
太田金山城は1469年、岩松家純の命を受けた横瀬国繁により築城されました。 後に横瀬家は主君である岩松家を倒し、太田金山城は名実共に横瀬家の支配下となったのです。 横瀬家は戦国時代に入ると関東管領上杉家、後北条家、武田家等の間を転々とし、1565年に由良に改姓しました。 太田金山城は1574年、上杉謙信の攻撃を五度も受けますが、その度に何とか持ちこたえています。 1578年に上杉謙信が死去し、御館の乱に勝利した上杉景勝がその後を継ぐと、盟約により由良氏と太田金山城は武田家の支配下に入りますが、1582年に武田家が滅亡すると前橋城に入っていた滝川一益の支配下に入り、その後由良氏は、後北条家の策謀により桐生城に強制的に隠居させられてしまったため、以後、太田金山城は後北条氏直轄の城となりました。 1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの際、太田金山城は前田利家に攻められ落城し、廃城となりました。 |
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参考文献・参考サイト ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地解説板・埋もれた古城(ウモ氏個人サイト) |