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高遠城
(たかとおじょう)
桜雲橋と堀
写真は桜雲橋と堀です。
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所在地 長野県伊那市高遠町東高遠
築城者 武田信玄
別名 兜山城
城郭形態 平山城
備考 コヒガンザクラの名所として知られる。
城址としては堀や土塁が見所。
アクセス 中央自動車道「伊那IC」より車で30分
駐車場 あり(桜のシーズン以外は無料)
満足度 ★★★★☆(5段階中4段階)
地図 Mapion
高遠城訪問記
高遠城は1547年、武田信玄により、周辺地域の支配拠点として築城されました。
1582年、織田信長による甲斐侵攻が始まると、高遠城の城主であった仁科盛信は徹底抗戦を主張。
降伏勧告をはねつけ、城を枕にして壮絶な討ち死にを遂げました。
その後高遠城には、徳川家の臣である保科氏が入りましたが、1590年の小田原攻めの後、徳川氏は関八州に転封され、保科氏も下総多古に移され、高遠城には毛利秀頼、京極高知が入りました。
関ヶ原の戦いが起こると、再び保科氏が2万5千石で高遠城主となり、保科氏の後は鳥居氏、内藤氏らが城主となり、明治維新を迎えました。
参考文献・参考サイト
ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地解説板・余湖くんのお城のページ(余湖氏個人サイト)
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