秀忠の人柄は? 秀忠TOPへ
 秀忠の人柄については、一言で言えば「律儀で温厚、かつ礼儀正しかった」と言われています。
 家康が結城秀康などではなく、秀忠に将軍職を譲ったのも、秀忠が律儀であり無難に将軍職をこなせるから(秀忠が暗愚で、引退後も自分が実権を握れるからとも言われていますが、もしそうなら家康の死後幕府は乱れるでしょうし、また秀忠が家康死後、幕府の基礎固めに大いに貢献したことを考えると、暗愚だったと言うのは少々的の外れた解釈でしょう)。
 さてここでは、秀忠の人柄を示す逸話を、いくつか紹介しましょう。

嘘をつけない
 秀忠は律儀でありすぎて、嘘をつけない人柄だったと言われています。
少々の嘘は政治には必要なこと。ゆえに家康は本多正信に「秀忠は律儀一辺倒だが、それでは世を治めることはできない」と漏らしました。
 それを受けた正信はある日秀忠に「秀忠様も、たまには嘘をつかれてはどうですか?」と言いました。
 しかし秀忠は「いや、自分は嘘をつけない。たとえついたとしても、父上の嘘なら買う者もあろうが、自分の嘘を買う者はいないだろう」と答えたのです。

律儀な行動
 家康もそうですが、秀忠も鷹狩が大好きでした。
 鷹狩に出発するときは、近習の者が太鼓を鳴らすのですが、ある日近習の者が、秀忠の食事の最中に太鼓を鳴らしたのです。
 すると秀忠は律儀にも「出発の時であるか」と、食事の最中であるにもかかわらず箸を置き、出発の支度を整え始めたのです。
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