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鳥取城 (とっとりじょう) |
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写真は三階櫓石垣です。 城郭関連の本 城郭関連商品 |
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鳥取城訪問記 | |||||||||||||||||||||
鳥取城は戦国時代中頃、因幡守護・山名誠通により築城されたとも、山名祐豊(但馬山名氏)により築城されたとも言われています。 確実なのは、1570年頃に武田高信が居城としていたことです。 武田高信は1573年に山名豊国により謀殺されてしまい、毛利豊元、ついで山名豊国が鳥取城の城主となりました。 1580年、羽柴秀吉による第一次鳥取城攻めにより、山名豊国は織田信長に臣従。 ですが毛利に通じる重臣は山名豊国を鳥取城から追放し、吉川元春に城将の派遣を要請。 元春はそれを受け、吉川経安の嫡男・吉川経家を城将として派遣しました。 1581年の第二次鳥取城攻めでは、羽柴秀吉は兵糧攻めを敢行。 やがて籠城兵は飢餓に陥り餓死者が続出する有様となり、吉川経家は降伏開城の後、自刃して果てました。 そのため宮部氏が鳥取城代となりましたが、1600年の関ヶ原の戦いの際、宮部長房が西軍に属したため改易となり、池田長吉が六万石で鳥取城主となりました。 その後、池田光政、ついで池田光仲が入封すると、池田氏が12代続いて明治維新を迎えました。 |
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参考文献・参考サイト ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地配布パンフレット・現地解説板 |