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富山城
(とやまじょう)
模擬天守
写真は模擬天守です。
城郭関連の本 城郭関連商品
所在地 富山県富山市本丸
築城者 神保長職
別名 安住城・浮城
城郭形態 平城
備考 遺構はそれほど残っていないが、模擬天守や資料館・美術館など、見ごたえはある。
アクセス JR北陸本線他「富山駅」より
徒歩12分。
駐車場 城址公園駐車場(有料)を使用
満足度 ★★★☆☆(5段階中3段階)
地図 Mapion
富山城訪問記壱 富山城訪問記弐
富山城は1543年、越中守護代であった神保長職により築城されました(異説あり)。
やがて越中に上杉謙信が進軍してくることとなり、
そのため1560年、長職は富山城を追われ、富山城は謙信のものとなりました。
1578年、謙信が亡くなると、富山城を織田軍の先鋒となっていた神保長住(長職の子)が奪還。
神保氏は富山城を取り戻すことに成功します。
1582年、富山城は佐々成政により攻められます。
これにより長住は富山城を追われ、富山城は成政のものとなりました。
その後、成政は羽柴秀吉と対立し。1585年に戦いとなります。
最終的に成政は、秀吉に降伏。成政は領土のほぼすべてを没収され、富山城も廃城となりました。
ですが1595年、越中が前田家に与えられると、富山城は1597年に前田利長の居城となり、
利長は廃城となっていた富山城を、近世城郭に改修しました。
ですが1609年、火災により建物を焼失したため、利長は高岡城を築城し、そちらに移ります。
更に1615年、一国一城令が発布されたため、富山城は再び廃城となりました。
1639年、前田利次が富山藩初代藩主となったことにより、富山城は再び復興。
以後富山城は、富山前田家の居城として、明治時代まで存続したのです。
そして1873年の廃城令により、富山城は大部分が破壊され、その役割を終えたのです。 
参考文献・参考サイト
ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地解説板・現地配布パンフレット・お城の旅日記(中西様個人サイト)
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