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富山城 (とやまじょう) |
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写真は模擬天守です。 城郭関連の本 城郭関連商品 |
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富山城訪問記壱 富山城訪問記弐 | |
富山城は1543年、越中守護代であった神保長職により築城されました(異説あり)。 やがて越中に上杉謙信が進軍してくることとなり、 そのため1560年、長職は富山城を追われ、富山城は謙信のものとなりました。 1578年、謙信が亡くなると、富山城を織田軍の先鋒となっていた神保長住(長職の子)が奪還。 神保氏は富山城を取り戻すことに成功します。 1582年、富山城は佐々成政により攻められます。 これにより長住は富山城を追われ、富山城は成政のものとなりました。 その後、成政は羽柴秀吉と対立し。1585年に戦いとなります。 最終的に成政は、秀吉に降伏。成政は領土のほぼすべてを没収され、富山城も廃城となりました。 ですが1595年、越中が前田家に与えられると、富山城は1597年に前田利長の居城となり、 利長は廃城となっていた富山城を、近世城郭に改修しました。 ですが1609年、火災により建物を焼失したため、利長は高岡城を築城し、そちらに移ります。 更に1615年、一国一城令が発布されたため、富山城は再び廃城となりました。 1639年、前田利次が富山藩初代藩主となったことにより、富山城は再び復興。 以後富山城は、富山前田家の居城として、明治時代まで存続したのです。 そして1873年の廃城令により、富山城は大部分が破壊され、その役割を終えたのです。 |
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参考文献・参考サイト ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地解説板・現地配布パンフレット・お城の旅日記(中西様個人サイト) |