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姫路城 (ひめじじょう) |
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姫路城訪問記壱 姫路城訪問記弐 姫路城ライトアップ | |
姫路城は1333年、赤松則村・赤村貞範によって築城が開始され、1346年頃に完成しました。 後に姫路城には、赤松氏の家臣である小寺氏が入りますが、赤松氏滅亡の後には一度山名持豊の城となり、応仁の乱に際し赤松氏が再興されると、再び小寺氏の城となりました。 その後小寺氏が御着城に移ると、姫路城には小寺氏の重臣・黒田重隆(黒田孝高の祖父)が入り、1561年には重隆・職隆(黒田孝高の父)によって、姫路城は改修されたといわれています。 そんな中、1577年に、信長から中国征伐を命じられた秀吉が播磨に入ってきます。 その時姫路城に入っていた黒田孝高は、小寺氏の安泰のために姫路城を秀吉に寄進。 秀吉はこの城を中国討伐の要所として改築し、三層にわたる天守閣を築きました。 その後、秀吉はこの城を居城としていましたが、1583年に大坂城を築くとそちらに移り、姫路城には秀吉の義兄にあたる木下家定が入りました。 (一説には黒田孝高と言われていますが、これはありえないでしょう) 関ヶ原の戦いの後の1601年、姫路城には池田輝政が入り、輝政は姫路城を改修。 今現在見ることのできる姫路城は、輝政によって造られたものです。 その後の姫路城の城主は、松平氏・榊原氏・本多氏・酒井氏など、徳川家譜代の臣等によってつとめられました。 明治時代には三の丸が取り壊されるなど、取り壊しの動きが活発になりましたが、軍の中村大佐の働きにより保存が決定され、昭和時代には国宝に指定。 また大改修の後に世界遺産に指定されました。 |
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参考文献・参考サイト ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地解説板・現地配布パンフレット・埋もれた古城(ウモ氏個人サイト) |