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甲府城 (こうふじょう) |
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写真は稲荷櫓です。 城郭関連の本 城郭関連商品 |
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甲府城訪問記 | |||||||||||||||||||||
甲府城は、武田氏の滅亡後、甲斐を支配した徳川家康により築城されました。 家康の関東転封後は、豊臣秀吉の甥・羽柴秀勝や、部下である加藤光泰により工事が継続され、最終的に浅野長政・幸長親子の手により完成し、江戸時代前半には将軍家一門の城となりました。 1704年に徳川綱豊が徳川綱吉の養子となり江戸城に移り住んだ後、柳沢吉保が入り大改修を行ったことにより、甲府城は大名の城としての役割を担いました。 そして柳沢吉里が大和郡山に転封となった後は、幕府直轄地として幕末まで存続したのです。 その間、甲府城は大火に見舞われ、本丸御殿や銅門・鉄門などを焼失してしまいました。 明治時代には城内の主な建物は解体されていき、跡地には甲府駅などが建設されたのです。 1904年に、本丸周辺が「舞鶴城公園」として一般開放され、甲府城は市民の憩いの場となりました。 1930年には、西側と北側の堀が埋められ、甲府城は今とほぼ同じ姿となりました。 そして2004年には、稲荷櫓・鍛冶曲輪門・内松陰門・稲荷門が復元されました。 |
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参考文献・参考サイト ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・ビジュアル・ワイド日本名城百選(小学館)・現地解説板・現地配布パンフレット 埋もれた古城(ウモ氏個人サイト) |