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千姫と仲が良かった奈阿

豊臣奈阿の実母は、豊臣秀頼の側室・小石の方であり、秀頼の正室・徳川千とは直接の血縁関係はありません。
ですが、千は奈阿をたいそう可愛がったとされ、その証拠とされる話もいくつか残されているのです。

助命され生き残った奈阿』にて、千が奈阿を養女にして、命を救ったことは既に述べましたが、
例えば、1634年、奈阿が入っている東慶寺は大々的に増改築されているのですが、
その際の大檀那が、なんと千であり、千の弟にあたる徳川家光が援助を行っているのです。

また、奈阿が東慶寺に入る際、千は寺入り道具の一つとして『唐糸草紙』を持たせたのですが、
1645年に奈阿が亡くなった際、千の元に遺品として、『唐糸草紙』が戻ってきたのです。
その時唐糸草紙は、至る所に手ずれを残しており、奈阿が愛読していた様子を表していたのです。

このように、千が奈阿を大切に思っていたのはもちろんのこと、奈阿もまた千を大切に思っていたのです。

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