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助命され生き残った奈阿

豊臣奈阿は1609年、豊臣秀頼の長女として大坂城で生まれました。
奈阿の養育係には、かつて忍城で籠城戦を行い、後に豊臣秀吉の側室となった成田甲斐が選ばれています。
当時、豊臣家と徳川家が対立関係にあったことから、大坂城は徳川家康から揺さぶりをかけられており、
その点では、幼少の奈阿の心は穏やかではなかったでしょう。
ですが、秀頼の正室である徳川千(家康の孫娘)が何かと奈阿に良くしてくれたことが、
奈阿としては心の支えになっていたように思えます。

大坂城
奈阿が生まれた大坂城(大阪府大阪市)

1614年、1615年の大坂の陣で豊臣家は徳川家に敗北。
戦後、父である秀頼と、異腹の兄である国松は処刑されてしまいます。
秀頼の娘である奈阿もまた、処刑される運命にあったのですが、
その直前、義理の母・千が奈阿を自らの養女とし、
「御爺様は私の娘の命を奪うのですか」と、家康に訴えたのです。

家康は千の意見を容れ、奈阿の命を助けることを決めました。
ただし、後の災いの種を摘み取る意味で、
「奈阿は出家し、鎌倉の東慶寺に入るように」と命じたのです。

奈阿は間もなく出家し、養育係である甲斐と共に鎌倉の東慶寺に入りました。
以後、奈阿は東慶寺で生涯慎ましく過ごし、1645年に37歳という若さで、その生涯を閉じたのです。

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