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優れた政治力を持っていた清正

加藤清正といえば、一般的に築城・治水の名手として知られています。

熊本城をはじめ、清正は江戸城名古屋城の普請に関わり、また熊本では、毎年氾濫する川に治水工事を行いました。
特に治水工事の際、清正は労働者をあらかじめ決めた労働時間・賃金できちんと働かせたため、
労働者たちは懸命に働いたと言われています。

また一方で、三振法という法律を制定したとして知られています。
三振法とは、「軽微な罪でも三度犯したら必ず切腹させる」というもので、
このため家臣らは粗相を起こさず、非常に行儀がよかったといわれています。

さて、このように見ると、清正はかなりの政治力を持っていたように感じられますが、実際には少々誇張があるようです。
というのも、実際に築城の際手腕を発揮したのは、森本儀太夫と飯田覚兵衛という人物だったのです。
また、治水の際手腕を発揮したのは、大木土佐という人物だったのです。

森本儀太夫と飯田覚兵衛は清正家臣の中の築城名手で、それぞれ江戸城名古屋城の普請で成果を上げています。
大木土佐は、もともと佐々成政に仕えていた治水の名手で、熊本での治水事業で成果を上げています。

こうして見てみると、どうやら彼らの功績が、清正一人のものとして伝えられてしまった可能性が高いようです。

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